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2018年12月27日木曜日

三海道走破


10月某日 鳥貴族箕面店
匿名希望さん「しまなみ海道ってあるやんか。自転車の。あれな、広島から呉経由してしまなみ入るやんか、そのまま今治通りすぎて松山港からフェリーで広島に帰ったら自走でしまなみ行けんねん。道も整備されて走りやすいしな。」

僕(ンンンンン.........いぐしかない.....!! ただ!ただ、ハイエースで運べる自転車は5台までッ!いくらハイエースといえどたった5人で割り勘だと費用がバカにならないッ!今年は諦めるしかッ...!)



10月30日
モラッタッッッッッ......!!
これは先輩風ふかせた上で後輩の企画にのっかって費用を節約するしかないッ!このチャンスは逃さない!
あたかも「手伝おうか?」という姿勢と雰囲気を崩さずに偶然を装って企画を立てるのだ!

そんな僕の企画に来てくれたのはこちら!

吉岡はるか(MOSER 101)
大久保ゆうと(CANNONDALE CAAD12)
福元りょううん(SCOTT SPEEDSTER 35 JAPAN LIMITED)
甫田みなみ(GIANT PROPEL ADVANCED2)
若池ひろゆき(SCOTT SPEEDSTER 30 DISC)

みなさんの愛車を積んでしゅっぱあああつ!!!


さあ、ここからはテンションを戻してお送りします。

あちらの企画の参加者を乗せて、今治側のしまなみのスタート地点サンライズ糸山まで送る。僕らは5人で松山観光港に向かう。


今回の僕らのコースは、松山→(フェリー)→呉→〈さざなみ海道〉→尾道→〈しまなみ海道〉→今治→〈はまかぜ海道〉→松山 さざなみ海道・しまなみ海道・はまかぜ海道の三海道190kmを走り抜ける。最後に松山道後温泉につかることで完成する素晴らしい企画なわけだ。



15日 5時起床。準備。若池、サイコン(スピードメーター)をなくす。大久保、ULDを忘れる。福元、渋いジャージを着る。若池、goproの部品をなくす。今日は若池の日である。
渋いだろ?
すきなんだなあ,こういうの。

6:25発のフェリーで呉に向かう。
嗚呼暁鐘は鳴り響く

8:20着。8:40ようやく出発。
元気だしていこうぜ!

自転車企画なのでなんといっても写真がない。しかも自転車で走るだけ。すぐ終わりそうなブログだ。
渋いだろ?

シャコっとさざなみ海道を走るよ。途中で道間違えて峠を越えたけどそれも一興。
企画者もこの余裕
な?

今な、動画を載せようとしたんだよ。容量超えるからダメなんやって。コノヤロ。
休憩
ぼたが道に迷った




できた




もういっちょ


しまなみに入るよ。


入った






っぽいでしょ



あちらの企画のみんなが大久野島に渡るときに港から『嗚呼黎明は近づけり』で送り出したかったんやけど、13時にしまなみに入ったもんやから間に合わん、間に合わん。バイバイ!



そろそろ日が暮れてくる。
良い
キレイ




フォトグラファー若池は一眼レフを運んでた。ほかにスピーカーとか積んでた。きつがってた。なにしてんねん。フリース運んでもらえたけなんも言えんけど。ありがとう。



自転車が映える、だろ?




陽が沈んだんだ。ここからだ。忘れてはいないかい?今日は若池の日だということを。

やった。若池、チェーンちぎれる。
厳密にいうと、チェーンの連結部分が外れる。日が暮れてからってのがまた痺れるね。直せない若池。焦る若池。
直すぼた。やっぱり君がいないとダメなんだ。助かるぞ。こんなところで走れなくなってもいつ迎えに来れるかわからんからな。まだしまなみなんだ。


19時しまなみ終了。あと40kmくらい。ファミマであったかいカップ麺を食べる。


19:30再び漕ぎ始め。道後温泉の営業時間は23時まで。余裕をもって21:30には車につきたい。


へばってんじゃないよ。ここでペースを緩めたらはまかぜ海道の思うつぼや。最後までしっかり漕ぎ切ってこその道後温泉や。
頭が回ってないぞ、若池。水分をとれ


ラストスパート!もう真っ暗。俺、叫ぶ。みんな、がんばる。
吉岡が結構体力残してたんだなあ。ついていけない。


ゴオオーーール!!なんでそこのビデオがないんだあああ!!
おつかれさま!若池500mlのペットボトル3本飲み干しよった。脱水やん。


温泉行くぞオ


はいいい。きもちいいいいい、まにあったーーー。浴槽につかると、あああああああって声が漏れる。これで今日漕いだのが報われたな。道の駅いって寝よか。



おやすみ


あちらの企画の方々へ
おかげで安く行けました。ありがとう!


2018年12月26日水曜日

阪大筏 Vol.2・3

Vol.2   11/27(火)

午後5時
部室に集まったのは筏を愛する男たち。ほんとに男だけ。

そして男たちの目の前には「ARFEQ ALEUT380T」
俺のバイト先の社員さんのご厚意で借りてくることができた折りたたみ式カヤックだ。

何を隠そう本日の真の目的はカヤック試乗会なのである。
筏のための竹切りは言わばおまけなわけだ。今日のところは。

さっそくカヤックを組んで中山池へ向かう。
なぜだ、写真が見つからない

夜の中山池は見方によっては幻想的だ。進水の前に『嗚呼黎明は近づけり』を歌い、かさね前で劇の練習をしていた連中に拍手をもらう。

いざ進水!
たのしいいいい!!水面が近い!結構進む!!

1回で乗れる人数は2人なので交代で乗る。
自由がきくんだなこれが。対岸のぎりぎりまで近づけるし、かさねの下に行って歌を歌うこともできるのだ。もちろん『嗚呼黎明は近づけり』。


いったん解散。俺はバイト終わり勢を待つことにする。午後9時すぎ、彼らが来る。あれだけ来ると言っていた現部長は帰宅したらしい。訳が分からない。

深夜の中山池に漕ぎだした彼らがVol.1の残骸を回収してきてくれた。もちろんあの看板もだ。伏せて保管する。回収できたはいいが、カヤックは中山池のヘドロまみれだ。

Vol.3ではっきりすることだが、福元には「借り物」「人のもの」をきれいに扱おうという考えが全くないようだ。

明道館のトイレ水道が使えないことに不満を漏らしながら文学部棟前で洗い活動を終了した。


Vol.3     12/8(土)

09:03 遅刻した!と部室の扉を勢いよく開けた。そこにいたのは眠る地黄と先輩に気を使って電気をつけずに座る石山。集合時間は9時。参加者は11人。集合率悪すぎじゃあないか?? 3分遅れの俺の次に来たのは10:30の大塚剛毅さん。ようやく始める。
12/1に企画者俺が見事購入したカヤックと借り物を合わせて2艇で発進。
俺のボイジャー

早速中山南造船所からカヤックを漕ぎ出し前回の筏の枠組みを回収に向かう。

今回の作戦は、前回の正方形の枠組みを長方形にすることで漕ぎやすさを手に入れ、また、節約した竹を筏の裏側にも敷き詰め浮力を向上させようというものだ。我ながら賢い。非常に賢い。救出した枠組みをカットして長方形にする。写真はない。


とりあえず一回休憩だ。

剛毅さんの豚汁もいい匂いがしてきたことだし。イロリリッジⅠ型も進化してきてることだし、竹の器と箸も作ってくれてるし、なんといってもカヤックが楽しい。小さな池の上でも優雅な休日を送っている気分になる。
全員が心の中で思っていたはずだ。簡単に水の上に出る道具があるのになぜわざわざ筏を作らなければならないのか、と。俺たちはテレパシーで繋がりあい、片付けの時間になるまで筏に目を向ける者はいなかった。

            




俺たちはナマステ=ウチボーリ氏の独自ブレンド本場チャイで体を温め大塚(剛)さんの豚汁で腹を満たした。ただ、彼には切った食材をカヤック乗艇勢に投げつけてくる癖があるため今すぐにでも非交戦協定を結びたいところだ。

イロリリッジ勢による手作りおわんと手作りお箸

東海林マグマ初アルバム『革共同』のジャケ写

新しい港が完成したことも伝えねば。
今まで未整備の岸から押し出してもらっていたのだが、マグマ大塚ドッグ整備主任の提案により自力で蹴り出せる桟橋を製作した。竹を橋脚のように埋め込み上に板を置く大規模工事だったが大きな事故もなく無事完成した。これで簡単に池にでられる。

桟橋の先っちょには例の看板が掲げられた。見えすぎてるから隠しておく。やっぱりめんどくさい。アートですからね、アート。


いい気分になったドッグ整備主任は上記の看板を池の真ん中に設置しようと野外生活技術大臣前田千尋とともに出航した。



アアアアアァーーー!!!!
パドルを没収され池を漂流していたウチボーリ氏の声が池中に響き渡った。全員が彼の視線の先に目を向けると、そこにはひっくり返ったカヤック1艇、水の中でもがく人間2人。
転覆したのである。彼ら転覆したのである。必死で岸めがけて泳ぐ千尋と池の木にしがみつくマグマと完全に沈んでしまった看板。ウチボーリ氏は漂流しているので助けに向かえない。カオスである。後で千尋が大久保さんは僕のことよりカヤックのことを心配してた、などと言っていたが、当たり前である。俺のならまだしも借り物のほうを沈めてくれるとは思わない。


濡れた服をイロリリッジに干し、千尋は裸でバナナを食らう。




落ちるためにそのパンツ履いてきたでしょ
焚火が焚かれ暖を取る。大塚(剛)さんが持ってきてくれたお餅を焼いて砂糖醤油で食べた。冬だなあと。
沈したカヤックは無事回収洗浄片付けまで済みました。ごめんなさい。





今回の反省は
筏を作る日にカヤックを出してはいけない
である。
次回は絶対に筏を完成させるんだ。

以上。

2018年12月4日火曜日

イザナギプロジェクト

どうも川本です。11月に東京スぺレオクラブ主催のイザナギプロジェクトに参加してきました。
日程は11/17,18の2日間。11/17は測量でしたが阪大は以下省略。

11/18は河内風穴の巡検メインで活動しました。
以下、参加者のリンコンより活動報告です。
しっかり記録しててえらい。写真もきれい。
でかい、きれい、クライミングたのしい河内の魅力満載、ぜひ読んでね。






元々二日目の日曜日の予定は洞内巡検と測量訓練であった。
しかし、一日目の測量で皆様が少し疲れていて、二日目に洞窟を楽しむことが中心にされ、予定は洞内巡検と洞内撮影に変わった。


そこで、東スぺの野池さんを先頭に
内撮影班、
大の田原さんを先頭に新最奥までの洞内巡検班、
市大の日野さんを先頭にラフト乗り水流探検班、
といった3つの班が構成された。


阪大の4人とも新最奥を目指す班に入らせてもらった。これは柴田さん以外の人らにとって初めて新最奥に行く機会であった。

当日の朝9時ごろに林業会館から出発して、20分で河内風穴の駐車場に着いた。
天気は晴れで、あまり寒くは感じていなかった。
しかも、洞窟内は外より暖かいだろうと思い、心も温かくなってきた。
駐車場で着替えて、管理人への挨拶を終えて、洞口の方に向かった。














河内風穴の観光洞の入り口以外にも第二と第三洞口がある。
これらの洞口から入洞すれば、観光洞のホールの真上の獣骨ホールと屋根裏ホールを通って非公開部のドンガラガンに到着できる。
この通路の天井の高さが5メートルから10メートルもあり、岩の隙間から観光洞のホールが見えて、大変ドキドキ感がでる。
今回は、屋根裏ホール辺りの調査を目的として野池さんを先頭に半分のケイバー達が第ニ洞口から入洞した。
それ以外の阪大の我らと岡大の一年生のケイバ―達が観光洞の入り口から入洞して、非公開部のシアターホールに着き、調査組のため待機することにした。入洞時間は10:15時であった。












我らが10:25時にシアターホールに着いた。
そこで、20分ぐらい待機して、調査組が合流したら決まっていた班で移動し始めた。
5分後にドリームホールを通ってカエル岩のところに着いた。そこから先に進み、15分後に第一水流へ行く前の岩切場に着いてから休憩することになった。











 休憩終わって、第ニ水流の方向に移動始めた。壁面全体に広がるケイブコラール、高さ2メートル以上の石筍、大きな鍾乳石、小型のリムストーンプールといった河内風穴の様々な二次生成物の殆どはこの岩切場から第二水流を通って最奥に行く道順において見られる。




班長の田原さんがこの道を皆によく確かめさせた。11:45時において鐘鳴池に着いたら、左の道から最奥に着くことを決めた。もし右の方に行ったら河内風穴の名物である壁に葬られたコウモリの遺体を見ることができた。池には水が浅くなっていた。



 20分後に最奥に到着した。その後、新最奥へのルート確認が少し時間がかかった。12:30時において我ら順番に新最奥の竪穴に着き、帰り始めた。言うまでもなく新最奥の竪穴はいつか下りてみるものであると思われた。



13:00時まで最奥の辺りで昼ご飯を食べて、第一水流に向かうことを決めた。第二水流に行く道が大人数で進みにくいため今回は行かないことにした。当然ながら田原さんが岩切場までの帰り道で初回のケイバー達を先頭にさせた。


 13:20時ぐらいに岩切場に戻り、第一水流の方に進んだ。道は思ったより長くて、登り下り良くあり、水流に着くため15分もかかった。河内の流路はこの辺りにおいて幅と高さ5メートル以上もある。それに対して深い第二水流と違い、水の深さは50センチもないきがする。泳ぐことができなくても、汚れているつなぎや長靴を洗うためのいい場所であるだろう。探検やつなぎ洗い終わって、13:45時ぐらいに帰り始めた。










 第―水流から帰るとき興味のある人らが青の水流にも顔を出した。野池さんや日野さんの班がそのとき青の水流でラフト乗ったり、撮影したりしていた。言うまでもなく、泥だらけのつなぎで水流に入ったら、しばらくのため綺麗な水のが茶色になってしまった。
カエル岩に戻ったのは14:40時のことであった。そこからどんどん進み15:00時ぐらいに我らの班が先に出洞した。
他の二つの班も20分後に駐車場で合流したら、当日の活動が終了とされた。



 林業会館に着いて片付きが終わったら、皆にさよならと言った。私にとっては皆様と一年ぶりに合って別れることは少し悲しかった。二日間良い時間を過ごしたに違いない。



 大変疲れていても柴田先輩が阪大の3人を車で石橋まで降ろしにきてくれました。そこで、我らの今年の最後のイザナギ企画が終了した。
来年の春や夏にまた測量が行われると思う。きっと行きたい。皆さんもいつか河内風穴のその魅力的な世界に探検してみたいでしょう??

阪大筏 Vol.1

筏・・・・木材・竹などを並べて結び合わせ、水に浮かべる物。木材の運搬や舟の代わり       に用いる。(大辞泉)

とともに、探検部に属するものとして非常に典型的な分野でありながらもロマンを感じることは避けられない乗り物。 (大久保 2018)

11月5日、時間通り部室に集まったのは大塚剛毅さん、森脇、松橋、そして俺の四名。


 当初は台風で倒れた木を材料にして阪大内をキレイにする社会福祉企画だったわけだが、下見に行ったところ、重すぎた。自分らで勝手に処分してくれ。俺らは竹を使うから。


部室裏の竹を切る。今回使用した竹は計8本。まあまあ多い。


出口が来た。早く竹を切りなさい。
1本10mほどの竹を下見で見つけた中山池池畔、中山池南造船所に運ぶ。場所は秘密である。




今回の筏は正方形の枠の中に竹を敷き詰める作戦。成功するかは神と筏に詳しい人のみぞ知る。2mほどに竹をカットしていく。


田中裕士さん山本幸宏さんが藪の中から現れた。なぜ場所がばれたのか。秘密なのに。
道具は鋸2本、なた2本、斧1本、巨大な剪定鋏1本なので自然と暇な人が出てくる。4回生の皆さんが竹と看板の回収に向かってくれた。


言い忘れていたが、今回の筏の目的は中山池の真ん中になにか「シンボリックなもの」を設置すること。と部室で決まった。行き当たりばったりなのである。大塚(剛)さんの提案で彼らが以前製作したある看板を立てることになった。
申し訳ないが、俺はここにその内容を書く勇気がないので各自確認してほしい。ただ、非常にシンボリックであることだけはお伝えしておく。


骨組みをトラロープを3本に裂いたもので縛り付ける。トラロープは本当にコスパが良い。この時にはりょううんが来ていたと思う。


まず正方形の外枠を作る。丸い竹は滑るので切れ込みをいれて竹同士をはめ込みトラロープで固定する。さながら宮大工のようであった。



かくして枠を作ったところでちょうどお昼時。どこから現れたのか、大量の卵が(株)中山造船 中山池南造船所に運び込まれた。多分誰かが買ってきてくれたんだろう。玉子で腹を満たして製作を再開する。




この時偶然生まれたのが、今巷でブームを呼んでいるキャンプ用品「イロリリッジⅠ型」だ。名前の通り囲炉裏なのだが、なんと持ち運びが可能なのである。3本の竹を組み合わせることで抜群の安定性と剛性を備えている。また竹製のため比較的軽く、水に浮くため水没する心配もない。目下、筏に括り付ける運搬方法も開発中だ。(¥15,600+税)



話を戻そう。
枠ができればあとは中を敷き詰めるだけだ。ロープが足りなくなり、釣りの水くみバケツの紐をとってしまおうかと考えたが、心の中のもう一人の俺がさすがにまずいと言ってきたので我慢した。竹を枠の中に敷き詰めて2本のロープで枠に縛り付けた。溝も何もいれずにただ置くだけのこの愚行が後にどんな結果を生むのだろうか。


できた。ぽい!!すごく筏っぽい!!!

さあいくぞ。
現代のコンプライアンスを気にかけ、また、探検部としての常識をもってヘルメットとライフジャケットを装備する。処女航海の船頭はもちろん俺。企画者としての威厳をもった水色パンツで中山池に挑む。海パン、ゴーグル、水泳帽装備でやる気満々のゆうじさんは次に乗ってもらおう。






いざ出航!


ガラガラガラ!!!
沈!!




うまくおさまっているようにも見えなくもないがびしょびしょである。


筏を乗り捨て命からがら逃げかえる。


第二陣が看板をビート板代わりに筏の奪還を試みた。


見事なキックで筏のもとへ向かう。


いざ!!!
見よ、彼らの喜びにあふれた顔を





後に続く男たちが筏の残骸を次々と突き刺していく

 おかえりなさい。


 第一回阪大筏これにて閉幕。
次回は十二月八日
こうご期待。